東野圭吾の"悪意"

出張移動の電車の中、東野圭吾の"悪意"を読んでいる。東野は、やはり、トリックで読ませるタイプのミステリー作家では無いのだろう。犯人側の心理描写、追いつめられ、魂を削られ、必死でつかんだ反撃の手段が殺人しかない、そんな哀しい人々の姿が、読者の共感を呼ぶのだろう。


比較に出しては悪いが、昨日観た三谷幸喜の映画が何故つまらないと思ったか。それは、あまりにも浅いレベルで、惚れたの腫れたの殺るの殺られるのと、空騒ぎを繰り広げているからだ。


私は、物語の良し悪しは、読者がその世界に身を浸し、疑似体験を通して、人生の機微をどれだけ味わうことができるかに掛かっていると思っている。薄っぺらな喜怒哀楽をどれだけ並べてみたところで、頭をがつんと殴られるような、この強烈な感覚は残りはしない。まだ終わらない"悪意"を読み進めながら、そんなことを考えた。